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仰木マジックと僕のプロ野球観戦記

仰木マジックと僕のプロ野球観戦記

1995年の仰木采配

この年はちょうど10年前になりますが、1月17日に阪神・淡路大震災が起こった年です。
「がんばろうKOBE」を合言葉にスタートを切った年でもあります。
前年に比べて働かなかった外国人に替えて、ニールとD.J.が加入。渡辺、野村以外抑えが弱かった点は鈴木平、渡部を加え、二年目の平井を抑えとして起用するなど結構メンバーを替えてます。

開幕は佐藤義則が当時の最高齢開幕投手に挑戦。勝ち星こそ付かないものの好投して伊良部に投げ勝つスタートを切ります。(4月1日)

また、強風の千葉マリンで野田が19奪三振の日本新記録を作る好投も見せました。(4月21日)
勝ったり負けたりが続き、個人的初観戦は5月8日の千葉マリンデーゲーム。

この試合はちと歴史的な試合です。
オ000 310 241 11
ロ100 030 020  6 
勝 平井 負 河本 本イチロー(小野)と書くと普通の試合です。

しかし、この時ロッテは風疹渦で、小宮山、初芝、猪久保が欠場。
猪久保は当時の第三捕手。この試合先発捕手は山中でしたが、途中で定詰に。
しかし、8回表二死満塁から高橋智の左中間二塁での一走藤井へのタッチ
プレイを巡りなんと定詰が退場。
ロッテは捕手がいなくなり、捕手経験があるらしい五十嵐がマスクを被ります。その五十嵐がマスクを被った状態で投げた小野からイチローがホームランを打ったのです。
ここでマスクを被った経験が後々オリックス移籍後に登板する事で、全ポジション達成に大きく貢献しました。
2000年6月3日五十嵐投手として登板し、全ポジション達成 スポニチより
また、イチローはこの年首位打者と共に打点王もタイで取りましたが、この
1点も大きかったと思います。

この試合で僕は平と平井をまともに見ましたが、非常に心強く思ったしだいです。

次の観戦は6月8日の東京ドームのファイターズ戦
この試合は2つ大きなことがありました。
1.スタメンに三人の捕手が。。。投手は左腕河野でした。
9 イチロー
4 福良
7 田口
3 高嶋◎
8 本西
D 中嶋◎
6 小川
2 三輪◎
5 馬場
P 野田
相手が、左腕河野なので、右を並べることは予想しましたが、左はイチロー
だけ。しかも◎印の三名はいずれも捕手です。予告先発の下仰木さんならで
はのオーダーでしたが、千葉マリンの捕手がいなくなった事を思うとちょっと怖いですよね。
この試合は高嶋が確かファインプレーも見せて淡々と進み、終盤3対1とリード。
しかし、八回裏に野田さん得意の一発病で、田中幸雄ツーランで同点。
九回からファイターズは長富がマウンドに、BWは清原、平、野村、平井と
繋いで12回。
12回表バスターエンドランなど絡めて1死満塁で本西、
ここで、前進守備の内野陣を越す飛球が飛び、レフトの前に落ちて、三走
イチローに続き、二走福良もホームへ。しかし、捕手と激突し退場。
この時のひざ負傷が後々響いてないかなと思ってます。
      
6月25日のファイターズ戦も行きました。この日も河野でしたが、
9イチロー
5馬場
7田口
2中嶋◎
4小川
Dニール
3高嶋◎
8本西
6勝呂
P伊藤
と四番中嶋で捕手は二人入れてました。
この試合は伊藤がノーノー(無安打無得点)やる勢いでしたが、終盤誰かの
飛球を田口が見失って、ヒットにしたような。。。結局三安打完封。
違っていたらゴメンナサイ。

なお、5月4日の公式戦でこんなのがあったようです。
スタメン八番捕手高橋功一
予告先発なのになぜ。。。この試合捕手は中嶋が入って試合開始。しかし一塁に高嶋もスタメンにいて、高嶋を捕手で使うか、中嶋を使うかぎりぎりまで決めかねていたのかもしれません。

続いて7月1日の西武戦を観戦。
この試合は小林がそれまでシーズン未勝利の先発。
しかし、堂々した投球で好投。6対2でした。

チームも調子を上げていてほぼ独走状態の中、8月に神戸に家族に出かけました。
そこで見たものは・・・
8月17日 対マリーンズ 3-6
8月18日 対ホークス  1-3
8月19日 対ホークス  3-10
実はそれまで三連敗を1回しか喫してなかったチームがまさかの三連敗。
あこがれのGS神戸で観戦出来たとはいえ悪夢でした。
D.J.KIMURAのアナウンスが印象に残ってます。

この後連敗は5まで伸びましたが、調子を取り戻しマジックも順調に減らし
9月を迎えました。
9月12日からの地元6連戦。
13日の近鉄戦に勝って、マジック1。残り4試合でかつ15日からはマジック
対象のロッテと3連戦。
コレは地元優勝間違いナシと当然思ってました。

しかし、14日の近鉄戦は打線が近鉄酒井に1点に抑えられて1対3で負け。
マリーンズも園川がホークスに好投して、15日からのマリーンズ三連戦へ。
ここからは皆さんご存知の通り。
初戦は野田が好投も伊良部がそれを上回る好投で0対1。
二戦目長谷川が粘りながら完投するも小宮山-河本-成本も好投し1対3。
三戦目ベテラン佐藤義が先発。ヒルマン用に起用した岡田、福良の活躍で
三連戦初めて先行するも終盤平井が打たれて逆転負け。3対6。

うーんな展開。

しかし、僕の手には9月19日の西武戦の切符があったのです。
BWパ・リーグ初優勝

当日は18時試合開始なのに15時過ぎには西武球場に行って並びました。
三塁側はほとんどBWファンで埋め尽くされた雰囲気の中、最後平井が吉竹を一塁ゴロに打ち取って胴上げ。
初めて胴上げを生で見た記念となる試合でした。

しかし、この後更に一生忘れられない試合を見ることになりました。
1995日本シリーズ第3戦

この試合野村監督に試合前かく乱されてました。
1.イチローへの揺さぶり。(内角攻め予告、打撃の際ラインを踏む踏まない。)
2.第1戦ブロス登板不可の偽装工作
1.はともかく2ですよね。
ブロスが練習中肩を痛めたという報道にまんまと引っかかってオリの1戦目
スタメンは明らかに左腕石井を読んだかのように5番小川、6番D.J
そこでブロスが来ました。

初戦は佐藤を先発に使いますが、5回で三失点。その後清原が代打大野に
ダメ押し2ラン打たれ2対5で敗戦。
二戦目は開幕も予想された野田が登板。
石井から何とか二点とるも終盤八回に野田が捕まり、1点返されオマリー。
シーズン中はパリーグ左打者をなで斬りにした野村を投入するも野村が
オマリーに同点タイムリー。
八回裏無死から福良の打球をライト真中が処理を誤り三塁打にするも
山部から犠牲フライも打てずゼロ。
延長11回にまたもオマリーに守護神平井が本塁打を浴び負け。

と絶対通用するはずの野田を立てた試合で野村、平井が打たれて敗戦と最悪のパターンで臨んだ第3戦でした。

試合開始前から張り切ってレフトスタンドに陣取りました。
神宮球場の照明が暗いせいか、練習するオリ選手も暗く見えましたが、
当時投手コーチの山田さんがバットを持って皆を激励しているのが印象的
でした。

この試合はセ本拠地なので、打順の問題が取り上げられてましたが、ここま
で一番に起用されていたイチローが三番、田口が一番に入るオーダーでスタート。
オリ
7田口
4福良
8イチロー
3D.J.
9藤井
2中嶋
5馬場
6小川
1星野

ヤクルト
8飯田
7城
4土橋
3オマリー
2古田
6池山
5ミューレン
9橋上
1吉井

初回いきなり星野がまたオマリーに先制タイムリー。
0対1で迎えた五回表に、先頭九番星野に早くも代打柴原を積極策から
チャンスを作りイチロー犠牲フライで追いつきます。
この辺りからベンチの駆け引きでシリーズらしくなります。

5回裏は先頭が右のミューレンでコバが登板。
しかし、ミューレンがヒットを放ち、続く星野用に起用された橋上に代打荒
井をノムが起用すると仰木さんもすかさず清原に交代。
コバは1球で交代でした。
しかし、ミューレン二盗を決め、荒井がバントで送り1死三塁と最悪な展開。
九番吉井を迎えてこちらも代打青柳。仰木さんも投手を鈴木平に交代すると
代打の代打稲葉。犠牲フライを打たれ勝ち越しを許します。
6回表からヤクルト加藤、裏は鈴木平が抑えます。
7回表は先頭八番小川が二塁打を放ち、鈴木平に回ると左腕加藤に対し、
代打三輪。ヤクルトも下手投げの宮本に替えますが、とっておきの代打
ニール。
ニールがレフト前で無死1,3塁のチャンスを作るとここまでシリーズ無安打
の田口がセンター前にはじき返し、同点。
続く福良は当然バント、イチロー敬遠で、1死満塁でD.J.
投手は山部に代わります。
山部は今は軟投派ですが、当時は速球派。
ちょっと苦しいと思いましたが、D.J.がセンター前にタイムリーを放ち、
2点。
さらにバックホームがわずかに乱れる間にイチローがサードを落としいれセーフ。
しかし、D.J.もつられて二塁を伺うもこちらはアウト。流れが切れた印象でした。
その裏は伊藤のフォークが冴え、きっちり抑えます。
八回表は馬場、小川が倒れ、二死から伊藤がなぜか四球。
これはヤクルトがわざと歩かせたのではないかと思うくらい。
結局田口三振。

八回裏は勝呂が小川に代わり守備固め。
代打金森三振、飯田センター前、秦内野安打で1死1,2塁。
伊藤が七回とは違う投球で、続く土橋の強烈な打球が三塁線を襲います。
これをこのシリーズ再三好プレーを見せていた馬場が横っ飛びで止め、
三塁ベースで二塁走者を封殺。
一度ベンチに戻るほど体を張ったプレーでした。
オマリーを迎えたため、当然野村を投入。しかし、暴投で走者が進んで
一打同点のピンチに。
ここまでのチャンスでの勝負強さを考え、敬遠。
↑コレは正直、何しに出てきたんだという感じです。
右の古田を迎えたため、平井に交代。

古田は三遊間へゴロを放つ。しかし、守備固めに入った勝呂が捕球し、
セカンドで封殺!チェンジ!
のはずが、セカンド塁審はセーフの判定。
オリベンチから首脳陣出てきます。
後でビデオ見ましたが、仰木さんちょっとてが出てるなと思うくらい激怒。
タイミングは微妙です。ギリギリ同時かなぁと。
チェンジと1点差なお二死満塁ではものすごい差ですからね。
何とか池山を平井が三振に抑えて1点差で九回に入ります。

九回表は高津に抑えられ、その裏はミューレンから。
フォークだったですか、あの高々と上がってレフトスタンドに飛んでくる
軌道は忘れられません。同点です。。。

十回表は5番藤井に代わって入った本西からと苦しい打順。
しかし、本西遊ゴロ、中嶋四球、馬場センター前とチャンスを作ります。
八番勝呂、九番平井はいずれも高津の変化球をおっつけてライト方向へ
いい当たりを放ちますが、いずれも予めライト線を詰めていたシフトに
はばまれ、チェンジ。

十回裏は二番土橋からと嫌な打順。
一死後オマリー四球。古田のレフト線の当たりが二塁打となり、一死二、三
塁で池山、ミューレンと続きます。
前の打席池山は三振、ミューレンホームランという事で池山との勝負を
選択しますが、結果はレフトスタンドへのサヨナラホームラン。。。

がっくりして、帰り支度を始めて、神宮の出口へ急ぎました。
この日はかなりムッとしていたので、一緒に行った人も非常に扱いにくかったと思います。

4時間25分の死闘でした。

翌日がコバ対オマリーの14球で一矢報いますが、翌々日D.J.の拙守、
ニールの緩慢プレーで敗戦。
神戸に帰れなかったシリーズとなりました。


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